ナースのストーリー

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病院で働きながら看護師に

看護師長 小川真理

画像    私の祖父と父は病気がちでした。そんな中、母は私に何か資格を取り、手に職をつけることを勧めました。そして叔母も看護師で、病院に行く機会が多かった影響なのか、幼稚園児か小学生のころからは看護師に憧れていた私は、看護師になる道を選びました。
  その当時は、現在と違い看護大学などはほとんどありません。高校卒業後の3年間、看護学校に通い看護師資格を取得すレギュラーコースもありましたが、私は高校卒業後、働きながら2年間看護学校に通い准看護師の資格を取得、その後も働きながら3年間学校に通い、看護師資格を取るという方法で看護師になりました。准看護師の資格を取るまでは、看護助手として体温測定・環境整備・シーツ交換や病棟での雑用(配膳・配茶や患者さんの移送などなど…)といった、資格がなくてもできる補助作業を、朝と夕方合わせて8時間しながら、昼間の4時間は学校へ通っていました。実際の病院の現場を見ながら勉強できる資格取得の方法は、とても忙しかったですが、私に合っていたように思います。                  

患者さんに育てられて

 私が新人看護師のころは、採血や注射を、患者さんは「私の手でやってもいいよ」と言って手を出してくださることが多くありました。「私の手は針が入りにくいから、私でできるようになったら誰の手でもできるようになるよ」と言ってくれて、たくさんの経験を積ませていただきました。患者さんに育てられた部分は大きいなと思っています。
 また、同じ新人看護師だったころ、がんの患者さんでかなり痛みを訴えていらっしゃる方がいました。ケアや病気についての知識がまだ十分でなく、そばにいてゆっくりお話を聞きうなずくだけということも多かったのに、「ゆっくり話聞いてくれてよかったわ」と声をかけてもらいました。今から思えばただ座って、手を握って、ちょっとしたお話をしていただけだったのに「ホッとしたよ」と言ってくださったことがすごく印象に残っています。
  最近では何年も社会経験を積んで、少しは気の利いたことも言えるようになっているけれど、当時は他の患者さんに対してもなかなか会話できず、沈黙が訪れたりすることもありました。そんなときも患者さんから話してくださって、会話の面でも患者さんに育てられて今の自分がいると思います。 父が亡くなった時も看護師として看護していたのですが、父の病気について自分できちんと説明できず「がんじゃないよ」としか言えなかったのは今でも悔しく記憶に残っています。         

後継者づくりに力を入れたい

画像  現在は管理職なので、患者さんひとりひとりにケアをする時間は減ってしまって、とても残念ですが、やはり患者さんとお話してケアをしているときが看護師になってよかったと思える瞬間です。なかなか時間は取れないですが、仕事の優先順位を考えながら患者さんとお話しする時間を作るように工夫しています。今からは業務に時間を使おうと決め、「今はこの仕事をするのでごめんなさい、後でまた来るのでその時ゆっくりお話ししましょうね」と患者さんに声掛けをし、仕事が終わったら戻ってくるなど、自分で時間配分をしながら業務とケアを両立させています。
  実は私は、人工肛門を造設していた経験があります。その経験を活かし、人工肛門の方や腸を切除した方と積極的にお話ししたり、ケアの知識を活かして痛みを共有しながら看護したりしていきたいと思っています。そして自分がスキルアップしつつ、患者さんや先輩看護師・スタッフに育てられたぶん、これからは後継者づくりも大事にしたいと思います。  
                 
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